「トーク:2000年度 (平成12年度)」の版間の差分
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この年の新入生から女子の制服が新しくなった。従来の「ボレロ」というスタイルから、ブレザーとタータンチェックのスカートという、 | この年の新入生から女子の制服が新しくなった。従来の「ボレロ」というスタイルから、ブレザーとタータンチェックのスカートという、 | ||
今風の組み合わせになった。リボンが数種類あって、変化を持たせることが出来るようになっている。おおむね好評のようで、上級生の中に | 今風の組み合わせになった。リボンが数種類あって、変化を持たせることが出来るようになっている。おおむね好評のようで、上級生の中に | ||
も購入を希望する者が出るほどである。一方、男子の制服は詰襟のままである。「変えよう』という声も挙がらない。数年前に、男子の制 | も購入を希望する者が出るほどである。一方、男子の制服は詰襟のままである。「変えよう』という声も挙がらない。数年前に、男子の制 | ||
服をブレザーにしようとしたが、生徒の反対にあったと聞いている。小山台の校風が感じられる。8月に目蒲線が廃止になった。今まで目蒲線 | |||
で通っていた生徒は、多摩川線から目黒線に乗り換えて来ることになった。と言っても線路がなくなったわけではなく、営団南北線、都営三 | で通っていた生徒は、多摩川線から目黒線に乗り換えて来ることになった。と言っても線路がなくなったわけではなく、営団南北線、都営三 | ||
田線が相互乗り入れを開始したため、名称を変更したのである。全都的にみると、学校へのアクセスは俄然便利になった。学区も撤廃され、 | 田線が相互乗り入れを開始したため、名称を変更したのである。全都的にみると、学校へのアクセスは俄然便利になった。学区も撤廃され、 | ||
今後はより広い地域からの生徒を受け入れることになるだろう。日米科学技術宇宙応用プログラム(JUSTSAP)主催の宇宙実験に、本校の2年増田芳雄君が副 | 今後はより広い地域からの生徒を受け入れることになるだろう。日米科学技術宇宙応用プログラム(JUSTSAP)主催の宇宙実験に、本校の2年増田芳雄君が副 | ||
研究者に選ばれた。これはスペースシャトルにメダカを乗せて、宇宙空間という「微小重力』中でメダカがどのような順応性を示すのか、また、どのような | |||
泳ぎのパターンを持つのかを研究するものである。副研究者に決まると、生物実験室には水温が調整できる水槽が運び込まれ、メダカが泳ぎ始めた。 | 泳ぎのパターンを持つのかを研究するものである。副研究者に決まると、生物実験室には水温が調整できる水槽が運び込まれ、メダカが泳ぎ始めた。 | ||
その後ここは「学校見学」のコースになり、在校生の中にも「宇宙を飛ぶメダカ」を見た生徒は多いだろう。当初は平成13年(2001)に打ち上げられる予定であ | その後ここは「学校見学」のコースになり、在校生の中にも「宇宙を飛ぶメダカ」を見た生徒は多いだろう。当初は平成13年(2001)に打ち上げられる予定であ | ||
ったが、スペースシャトルの不具合で延期に延期を重ねることになった。そして、やっと平成15年(2003)1月にメダカは「コロンビア」とともに宇宙に飛び立った。 | ったが、スペースシャトルの不具合で延期に延期を重ねることになった。そして、やっと平成15年(2003)1月にメダカは「コロンビア」とともに宇宙に飛び立った。 | ||
しかし、この「コロンビア」は無事地球には戻ってこなかった。大気圏突入の際に分解・炎上という大惨事を起こしてしまったのである。この数日前、 | |||
小山台をはじめとする関係施設とNASAとをインターネットで結んでビデオ討論会を行った。この討論会には、この実験を地上でサポートしていた | 小山台をはじめとする関係施設とNASAとをインターネットで結んでビデオ討論会を行った。この討論会には、この実験を地上でサポートしていた | ||
宇宙飛行士の向井千秋さんも参加され、生徒たちの質問に答えていた。実験も順調に進んでいただけに、このような結果になったのは残念である。 | |||
2年生の修学旅行は、沖縄を訪れた。航空機が利用できるようになって久しいが、沖縄に行くのは初めてであった。天候にも恵まれ、11月にもかかわらず、 | 2年生の修学旅行は、沖縄を訪れた。航空機が利用できるようになって久しいが、沖縄に行くのは初めてであった。天候にも恵まれ、11月にもかかわらず、 | ||
東京でいえば初夏の気候か?半袖で十分であった。リゾートホテルも生徒に好評で、この後、沖縄に行く学年が続いた。(創立八十周年記念誌21ページより) |
2023年7月17日 (月) 12:39時点における最新版
この年の新入生から女子の制服が新しくなった。従来の「ボレロ」というスタイルから、ブレザーとタータンチェックのスカートという、 今風の組み合わせになった。リボンが数種類あって、変化を持たせることが出来るようになっている。おおむね好評のようで、上級生の中に も購入を希望する者が出るほどである。一方、男子の制服は詰襟のままである。「変えよう』という声も挙がらない。数年前に、男子の制 服をブレザーにしようとしたが、生徒の反対にあったと聞いている。小山台の校風が感じられる。8月に目蒲線が廃止になった。今まで目蒲線 で通っていた生徒は、多摩川線から目黒線に乗り換えて来ることになった。と言っても線路がなくなったわけではなく、営団南北線、都営三 田線が相互乗り入れを開始したため、名称を変更したのである。全都的にみると、学校へのアクセスは俄然便利になった。学区も撤廃され、 今後はより広い地域からの生徒を受け入れることになるだろう。日米科学技術宇宙応用プログラム(JUSTSAP)主催の宇宙実験に、本校の2年増田芳雄君が副 研究者に選ばれた。これはスペースシャトルにメダカを乗せて、宇宙空間という「微小重力』中でメダカがどのような順応性を示すのか、また、どのような 泳ぎのパターンを持つのかを研究するものである。副研究者に決まると、生物実験室には水温が調整できる水槽が運び込まれ、メダカが泳ぎ始めた。 その後ここは「学校見学」のコースになり、在校生の中にも「宇宙を飛ぶメダカ」を見た生徒は多いだろう。当初は平成13年(2001)に打ち上げられる予定であ ったが、スペースシャトルの不具合で延期に延期を重ねることになった。そして、やっと平成15年(2003)1月にメダカは「コロンビア」とともに宇宙に飛び立った。 しかし、この「コロンビア」は無事地球には戻ってこなかった。大気圏突入の際に分解・炎上という大惨事を起こしてしまったのである。この数日前、 小山台をはじめとする関係施設とNASAとをインターネットで結んでビデオ討論会を行った。この討論会には、この実験を地上でサポートしていた 宇宙飛行士の向井千秋さんも参加され、生徒たちの質問に答えていた。実験も順調に進んでいただけに、このような結果になったのは残念である。 2年生の修学旅行は、沖縄を訪れた。航空機が利用できるようになって久しいが、沖縄に行くのは初めてであった。天候にも恵まれ、11月にもかかわらず、 東京でいえば初夏の気候か?半袖で十分であった。リゾートホテルも生徒に好評で、この後、沖縄に行く学年が続いた。(創立八十周年記念誌21ページより)