「岩本 實次郎」の版間の差分

提供: 八中・小山台デジタルアーカイブ
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(編集中)<!-- 歴代校長の写真は図書室にあるアルバムからスキャンすること -->[[ファイル:Example.jpg|thumb|200px|中島嘉之吉 二代校長]]'''中島 嘉之吉'''(なかじま かのきち、1937年4月 - 1945年)は、日本の教育者。東京府立第八中学校校長(二代)
(編集中)<!-- 歴代校長の写真は図書室にあるアルバムからスキャンすること -->[[ファイル:Example.jpg|thumb|200px|岩本 實次郎校長]]'''岩本 實次郎'''(いわもと かんじろう、1946年3月30日 - 1954年3月31日)は、日本の教育者。東京都立第八中学校校長(三代)
==本校歴==
==本校歴==
:1938(昭和13)年5月28日 全校マラソンを実施(多摩川堤)する。
:1946年 11月   講堂外部の復旧工事が落成する。(保護者会の協力による修復)
:1939年 4月   夜間中学は第1学年より2学級編成となる。 
:1946年 12月19日 運動場拡充のため北側隣接地916坪1合2勺を保護者会により買収する(吉永長五郎氏所有の強制疎開地)。、 
:    4月   補習科の設置を再開する。(1945年3月まで)
:1947年 10月21日 先に買収の隣接地100坪4合2勺を保護者会により買収し、合わせて運動場とする(飯泉鐘之助氏所有地)。   
:1940年 3月   夜間中学第1回卒業式を挙行する。
:1947年 12月 1日 教職員教育研究協議会が結成される。
:    10月20日 紀元2600年奉祝運動会を挙行する。
:1948年  4月 1日 新制高等学校制度実施により東京都立第八新制高等学校となり、全日制3年制各学年8学級、計24学級、定時制4年生各学年2学級計8学級の2課程を設置する。 
:1941年 4月 1日 東京府立八中夜間中学を東京府立弘道中学と改称、校友会を報国団と改称する。 
:1948年 5月 5日 創立25周年記念式典を挙行する。
:1943年 4月 1日 中等学校令改正により、4年制の第1学年入学する。
:1948年 9月20日 寒さにもめげず咲き匂う寒菊を象徴した新校章を定める。
:         東京府立弘道中学は、東京府立第八中学校夜間課程となる。  
:1949年 3月 8日 新制高等学校第1回卒業式を挙行する。(卒業生男子144名)  
:1943年 5月   最後の修学旅行を5年生について実施する。(伊勢神宮方面)
:1949年 4月 1日 全日制課程24学級編成(1学年8学級)。
:    7月 1日 都制施行により、校名を東京都立第八中学校と改称する。
         定時制課程16学級編成(1学年4学級)の完成規模定まる。
:1944年 4月20日 学徒動員令により学徒勤労報国隊を結成し5年生が勤労動員に出動する。
         男女共学とし本年度は、全日制のみ4名の女子生徒の入学を許可する。
:1945年 1月   海軍艦政本部の一部が本校に疎開し使用する。(講堂とと3階全教室・西館2階教室)
:1950年  4月 3日 新制中学第1回卒業の男子300名、女子100名を新制度の全日制第1学年に入学を許可する。
:    5月23日 空襲により、屋内体操場・銃器庫・八角便所、売店、講堂が消失する。
         定時制第1学年は男女合わせて200名の入学を許可する。
:1950年 7月     高等学校野球全国大会東京都予選で第2位となる。
:1951年 2月 6日 新効果を制定する。(作詞、本校講師栗原源七氏、作曲平井保喜氏)   
:1951年 5月 7日 新校歌発表演奏会を星講堂で開催する。
:1951年  6月13日 別棟の工作教室の金工室から出火、小火の程度で消火する。
:1951年 12月   女子生徒の制服、セーラー服を制定する。
:1952年  3月   昭和28年度都立高校入学希望者に対し、初めて合同選抜学力検査制度を実施する。
:1953年  4月10日 創立30周年記念事業として講堂の修復が完成する。
:1953年 10月24日 創立30周年記念式典を挙行する。

2022年4月5日 (火) 14:30時点における版

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岩本 實次郎校長

岩本 實次郎(いわもと かんじろう、1946年3月30日 - 1954年3月31日)は、日本の教育者。東京都立第八中学校校長(三代)

本校歴

1946年 11月   講堂外部の復旧工事が落成する。(保護者会の協力による修復)
1946年 12月19日 運動場拡充のため北側隣接地916坪1合2勺を保護者会により買収する(吉永長五郎氏所有の強制疎開地)。、 
1947年 10月21日 先に買収の隣接地100坪4合2勺を保護者会により買収し、合わせて運動場とする(飯泉鐘之助氏所有地)。   
1947年 12月 1日 教職員教育研究協議会が結成される。
1948年 4月 1日 新制高等学校制度実施により東京都立第八新制高等学校となり、全日制3年制各学年8学級、計24学級、定時制4年生各学年2学級計8学級の2課程を設置する。 
1948年 5月 5日 創立25周年記念式典を挙行する。
1948年 9月20日 寒さにもめげず咲き匂う寒菊を象徴した新校章を定める。
1949年 3月 8日 新制高等学校第1回卒業式を挙行する。(卒業生男子144名)  
1949年 4月 1日 全日制課程24学級編成(1学年8学級)。

         定時制課程16学級編成(1学年4学級)の完成規模定まる。          男女共学とし本年度は、全日制のみ4名の女子生徒の入学を許可する。

1950年 4月 3日 新制中学第1回卒業の男子300名、女子100名を新制度の全日制第1学年に入学を許可する。

         定時制第1学年は男女合わせて200名の入学を許可する。

1950年 7月  高等学校野球全国大会東京都予選で第2位となる。
1951年 2月 6日 新効果を制定する。(作詞、本校講師栗原源七氏、作曲平井保喜氏)   
1951年 5月 7日 新校歌発表演奏会を星講堂で開催する。
1951年 6月13日 別棟の工作教室の金工室から出火、小火の程度で消火する。
1951年 12月   女子生徒の制服、セーラー服を制定する。
1952年 3月   昭和28年度都立高校入学希望者に対し、初めて合同選抜学力検査制度を実施する。
1953年 4月10日 創立30周年記念事業として講堂の修復が完成する。
1953年 10月24日 創立30周年記念式典を挙行する。