「齋藤 清」の版間の差分

提供: 八中・小山台デジタルアーカイブ
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:1955年  5月   女子制服を背広型に改定する。
:1955年  5月   女子制服を背広型に改定する。
:1955年 12月 5日 全校マラソンを実施する。(以後継続)、 
:1955年 12月 5日 全校マラソンを実施する。(以後継続)、 
:1955年 12月30日 体育館(財源PTA)完成、落成式を開催する。。   
:1955年 12月30日 体育館(財源PTA)完成、落成式を開催する。   
:1956年  2月      スケート教室実施、以後毎年実施する。 
:1956年  2月      スケート教室実施、以後毎年実施する。 
:1948年 4月 1日 
:1956年 4月14日 開校記念日を5月4日に変更する。
:1948年 5月 5日 創立25周年記念式典を挙行する。
:1958年 4月14日 補習科再開、工作室を教室として使用する。(1学級編成で初年度93名、61年度より150名となる。)
:1948年 9月20日 寒さにもめげず咲き匂う寒菊を象徴した新校章を定める。
:1958年 7月      ブラスバンドを新設する。
:1949年 3月 8日 新制高等学校第1回卒業式を挙行する。(卒業生男子144名)  
:1959年 3月      定時制生徒の給食用厨房室が完成する。
:1949年 4月 1日 全日制課程24学級編成(1学年8学級)。
   
         定時制課程16学級編成(1学年4学級)の完成規模定まる。
         男女共学とし本年度は、全日制のみ4名の女子生徒の入学を許可する。
:1950年  4月 3日 新制中学第1回卒業の男子300名、女子100名を新制度の全日制第1学年に入学を許可する。
         定時制第1学年は男女合わせて200名の入学を許可する。
:1950年 7月     高等学校野球全国大会東京都予選で第2位となる。
:1951年 2月 6日 新効果を制定する。(作詞、本校講師栗原源七氏、作曲平井保喜氏)   
:1951年 5月 7日 新校歌発表演奏会を星講堂で開催する。
:1951年  6月13日 別棟の工作教室の金工室から出火、小火の程度で消火する。
:1951年 12月   女子生徒の制服、セーラー服を制定する。
:1952年  3月   昭和28年度都立高校入学希望者に対し、初めて合同選抜学力検査制度を実施する。
:1953年  4月10日 創立30周年記念事業として講堂の修復が完成する。
:1953年 10月24日 創立30周年記念式典を挙行する。

2022年4月5日 (火) 16:12時点における版

(編集中)

斎藤 清校長

齋藤 清(さいとう きよし、1954年4月1日 - 1959年3月31日)は、日本の教育者。東京都立小山台高等学校校長(四代)

本校歴

1955年 5月   女子制服を背広型に改定する。
1955年 12月 5日 全校マラソンを実施する。(以後継続)、 
1955年 12月30日 体育館(財源PTA)完成、落成式を開催する。   
1956年 2月 スケート教室実施、以後毎年実施する。 
1956年 4月14日 開校記念日を5月4日に変更する。
1958年 4月14日 補習科再開、工作室を教室として使用する。(1学級編成で初年度93名、61年度より150名となる。)
1958年 7月 ブラスバンドを新設する。
1959年 3月 定時制生徒の給食用厨房室が完成する。