菊桜会の歴史

提供: 八中・小山台デジタルアーカイブ
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菊桜会の歴史

歴代会長
初代:渡部 明(中1)
2代:三枝 忠四(中1)
3代:牧野 賢弥(中1)
4代:川越不二男(中1)
5代:大野 文揚(中1)
6代:平田 弘(中6)
7代:伊藤 昌壽(中15)
8代:福川 伸次(高2)
9代:大澤 佳雄(高11)
10代:増田 次郎(高17)
11代:大川 洋二(高20)
12代:宗岡 正二(高17)


同窓会の歩み(創立40周年記念誌より)

経過してみれば早いもので、母校創立四十年を迎え、私達の同窓会も品川の三ツ木小学校の仮校舎で学んだ第1回生が1928(昭和3)年に卒業して、岡田校長を会長にいただき同窓会を設立してから、早や35年が夢のように過ぎました。
初めのころの事業は、総会開催と会誌を発行、またプール建設費の一助に、青山の青年会館を借りて映画会を何回も開催したり、なかなかたいへんな張り切りようでした。
1937(昭和12)年に岡田校長が辞められ、中島校長が二代目会長に就任されました。当時の総会は落語・講談・曲芸等を呼んでお菓子とせんべいがよく出たものでした。
終戦前後の空白を過ぎ、1946(昭和21)年岩本校長が三代目会長となられ、同窓会も以前の終身会費金十円也を再三値上げしてもなかなか物価間に追いつけず、四苦八苦の状態で会員もほとんど罹災、戦死等のため名簿の発行も意にまかせぬ状態でした。
岩本校長は1947(昭和22)年副会長制を採用、中1回生の渡部明氏を選出、1948(昭和23)年の総会の時「君達も母校卒業後、もう20年過ぎて、齢も昔から言われた、『四十にして立つ』だから、会長も君達の中から選出するように」と申され、会長をやめて卒業生にバトンタッチされました。
選出の結果、副会長の渡部明氏が四代目会長と決定。副会長以下の役員も全員卒業生で構成、先生方は職員幹事として今後残られることになりました。会長はその後1955(昭和30年)三枝忠四氏、1959(昭和34)年牧野賢弥氏と変わり現在に至りました。
本会の会計も終身会費制度から入会金制度へ、1962(昭和37)年からは年会費制度と移り、ようやく基礎をかためながら発展していく緒についたところです。
振りかえってみれば、岩本会長までが"おんぶ、だっこ"の時代、渡部氏、三枝氏の会長時代が"フレッシュマンで苦しくてたまらない時代"、現牧野会長になって、やっとなんとか見通しがつき、大いに発展すべく目下けんめいに努力中と申し上げ、本稿の責を果したいと存じます。(「創立40周年記念誌」P132 中6回 鎌田栄一)



畑芳夫さん、萩原正弘さんが語る菊桜会の歴史

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 インタビュー時の動画 (工事中です。)


2021年7月10日インタビュー(X分XX秒)











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脚注: 










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